十人のおとめにとって花婿を迎えに出て行くことは、大きな誉れであり喜びです。おとめたちは花嫁の家で花婿を待ちます。やって来た花婿を迎え、ともし火を掲げて列に連なり、花婿と一緒に婚宴の席に入ります。ただ、そのうちの愚かな五人は、ともし火を持ちながらも油を用意しませんでした。賢い五人は、ともし火と一緒に油を壺に入れて持っていました。
ところが花婿はなかなか来ません。おとめたちは皆、眠くなって眠り込んでしまいました。その真夜中に、おとめたちは花婿が来たと聞き、皆起きてともし火を灯します。ここで愚かなおとめたちは、ともし火のための油がないと気づきます。油を分けてくれるよう賢いおとめに頼みますが、賢いおとめたちは分けてあげるほど十分ありません。そこで店で買ってくるよう言います。愚かな五人が買いに行く間に花婿は到着し、賢い五人のおとめたちが婚宴の席に入りました。
主イエスは言います「目を覚ましていなさい」。主イエスは「迎えに出なさい」との声に対し目を覚ましているよう求めます。その時になって、自分は油がないからどうせ駄目だと言うのでなく、自分は油を持っているから大丈夫と決めつけるのでもない。今このとき語りかける主人の声に目を覚ましていることが大切です。油の用意があった五人は幸いにも店へ買いに行くこともなく、「迎えに出なさい」という声に聞き従うことができ、花婿と一緒に婚宴の席に入りました。
主イエスはこのたとえを語ることにより、主のご支配がこの身にやってくるその日その時に対するわたくしたちの姿勢を整えます。主の到来を知ったとき、この主を迎えに出て行くことが幸いです。「言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である(10:19,20)」からです。父はわたくしたちを愛します。この身が滅んでも死から新たに生かしてくださる父であられるのです。