主人から五タラントン預かった僕はその五タラントンを用いて働き、さらに五タラントン儲けました。二タラントン預かった僕も、その二タラントンを用いて働き、もう二タラントンを儲けました。ところが一タラントン預かった僕は地に穴を掘ってそこに隠しました。この僕はそうした理由を主人が帰ってきた時にいいます。「あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だ」。そうあなたを知っていたから、と。しかし主人は問います。「お前はわたしを知っていたのか」。
主人は先の二人の僕にいいました。「お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」。主人は自身の喜びの中へと僕らを迎えようと、タラントンを預けたのです。主人の喜びは永遠の命であり、更に与えられて豊かに、主人と共に僕が生かされることにあります。
主イエスは、わたくしたちが預かった命というこの少しのものに対し、忠実であることを求めます。この命がわたくしたちの造り主の喜びへと向かうことを、願うのです。死を経てなおこの身を生かす神の喜びへと向かうよう、主イエスは御言葉と聖霊によってわたくしたちを導きます。
わたくしたちは、もう何か知ったようにして、神さまを決めつけるのではありません。そして同じように、この命をも、何か知ったようにして決めつけるのではありません。むしろ、与えられたこの命は、命の造り主である神をなお知ることにおいて、神の前に死を越えて生かされるのです。
ですから、僕は主人をなお知ることが必要です。わたくしたちはなお主なる神さまを知ることが大切です。そのため、主イエスはこのたとえを語りました。わたくしたちに対しては礼拝を通して主イエスは語りかけてくださいます。主イエスはわたくしたちを、ご自身の喜び、父なる神さまの喜びへと、迎え入れようとするのです。