2017年5月14日日曜日

「預かった賜物を用いて」マタイによる福音書25:14-30

主人(しゅじん)から()タラントン(あず)かった(しもべ)はその()タラントンを(もち)いて(はたら)き、さらに()タラントン(もう)けました。()タラントン(あず)かった(しもべ)も、その()タラントンを(もち)いて(はたら)き、もう()タラントンを(もう)けました。ところが(いち)タラントン(あず)かった(しもべ)()(あな)()ってそこに(かく)しました。この(しもべ)はそうした理由(りゆう)主人(しゅじん)(かえ)ってきた(とき)にいいます。「あなたは()かない(ところ)から()()り、()らさない(ところ)からかき(あつ)められる(きび)しい(かた)だ」。そうあなたを()っていたから、と。しかし主人(しゅじん)()います。「お(まえ)はわたしを()っていたのか」。
主人(しゅじん)(さき)二人(ふたり)(しもべ)にいいました。「お(まえ)(すこ)しのものに忠実(ちゅうじつ)であったから、(おお)くのものを管理(かんり)させよう。主人(しゅじん)一緒(いっしょ)(よろこ)んでくれ」。主人(しゅじん)自身(じしん)(よろこ)びの(なか)へと(しもべ)らを(むか)えようと、タラントンを(あず)けたのです。主人(しゅじん)(よろこ)びは永遠(えいえん)(いのち)であり、(さら)(あた)えられて(ゆた)かに、主人(しゅじん)(とも)(しもべ)()かされることにあります。
(しゅ)イエスは、わたくしたちが(あず)かった(いのち)というこの(すこ)しのものに(たい)し、忠実(ちゅうじつ)であることを(もと)めます。この(いのち)がわたくしたちの(つく)(ぬし)(よろこ)びへと()かうことを、(ねが)うのです。()()てなおこの()()かす(かみ)(よろこ)びへと()かうよう、(しゅ)イエスは御言葉(みことば)聖霊(せいれい)によってわたくしたちを(みちび)きます。
わたくしたちは、もう(なに)()ったようにして、(かみ)さまを()めつけるのではありません。そして(おな)じように、この(いのち)をも、(なに)()ったようにして()めつけるのではありません。むしろ、(あた)えられたこの(いのち)は、(いのち)(つく)(ぬし)である(かみ)をなお()ることにおいて、(かみ)(まえ)()()えて()かされるのです。

ですから、(しもべ)主人(しゅじん)をなお()ることが必要(ひつよう)です。わたくしたちはなお(しゅ)なる(かみ)さまを()ることが大切(たいせつ)です。そのため、(しゅ)イエスはこのたとえを(かた)りました。わたくしたちに(たい)しては礼拝(れいはい)(とお)して(しゅ)イエスは(かた)りかけてくださいます。(しゅ)イエスはわたくしたちを、ご自身(じしん)(よろこ)び、(ちち)なる(かみ)さまの(よろこ)びへと、(むか)()れようとするのです。