わたくしたちの命は、造り主なる神の祝福によって始まりました。主イエスは言います。「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい」。わたくしたちは何も、自分にはなかった祝福を何とかして勝ち取るのではありません。わたくしたちの始まりは神の祝福にあり、同じく神が備えた御国をただで受け継ぐのです。
もし、わたくしたちの始まりが呪いであれば、わたくしたちは何とかして神から祝福を勝ち取らねばなりません。王が飢えているのを見たなら、誰よりも先に食べさせに行きます。王から祝福を報いてもらうためにです。ですが王の裁きによれば、始まりを呪いとする者は永遠の火の中に入れられます。いくら自分で頑張っても的外れとなり、それによって永遠の命を報いてもらうことはできません。
ですから、わたくしたちは自分の始まりが祝福であると受け止め、信頼することが大切です。そのため、主イエスはわたくしたちを導きます。わたくしたちが異教徒として生まれたとしても、神は天地創造の時からわたくしたちに祝福を備え、神の祝福によりこのわたしは誕生したのです。
天地の造り主なる神さまは、ご自身の栄光の座としてわたくしたちを造りました。そのわたくしたちのところへと、人の子主イエスは世の終わりの勝利者として来てくださいます。主イエスはわたくしたちを取り巻く全てに勝利し、死から復活させ、主イエスにおいて始められた永遠の命に与らせてくださいます。
わたくしたちの始まりも、終わりも、造り主なる神さまの大いなる眼差しのもとにあり、わたくしたちはどこまでもこの神の祝福の中にあります。この祝福を、神は御子イエスを死から復活させて明らかにしたのであり、これを告げ知らせる礼拝によって、わたくしたちもこの神の眼差しのもとにおいてくださるのです。