2017年5月21日日曜日

「大いなる眼差しのもとに」マタイによる福音書25:31-46

わたくしたちの命(いのち)は、造(つく)り主(ぬし)なる神(かみ)の祝福(しゅくふく)によって始(はじ)まりました。主(しゅ)イエスは言(い)います。「さあ、わたしの父(ちち)に祝福(しゅくふく)された人(ひと)たち、天地(てんち)創造(そうぞう)の時(とき)からお前(まえ)たちのために用意(ようい)されている国(くに)を受(う)け継(つ)ぎなさい」。わたくしたちは何(なに)も、自分(じぶん)にはなかった祝福(しゅくふく)を何(なん)とかして勝(か)ち取(と)るのではありません。わたくしたちの始(はじ)まりは神(かみ)の祝福(しゅくふく)にあり、同(おな)じく神(かみ)が備(そな)えた御国(みくに)をただで受(う)け継(つ)ぐのです。
もし、わたくしたちの始(はじ)まりが呪(のろ)いであれば、わたくしたちは何(なん)とかして神(かみ)から祝福(しゅくふく)を勝(か)ち取(と)らねばなりません。王(おう)が飢(う)えているのを見(み)たなら、誰(だれ)よりも先(さき)に食(た)べさせに行(ゆ)きます。王(おう)から祝福(しゅくふく)を報(むく)いてもらうためにです。ですが王(おう)の裁(さば)きによれば、始(はじ)まりを呪(のろ)いとする者(もの)は永遠(えいえん)の火(ひ)の中(なか)に入(い)れられます。いくら自分(じぶん)で頑張(がんば)っても的外(まとはず)れとなり、それによって永遠(えいえん)の命(いのち)を報(むく)いてもらうことはできません。
ですから、わたくしたちは自分(じぶん)の始(はじまりが祝福しゅくふくであると受うけ止とめ、信頼しんらいすることが大切たいせつです。そのため、主しゅイエスはわたくしたちを導みちびきます。わたくしたちが異教徒いきょうととして生うまれたとしても、神かみは天地てんち創造そうぞうの時ときからわたくしたちに祝福しゅくふくを備そなえ、神かみの祝福しゅくふくによりこのわたしは誕生たんじょうしたのです。
天地(てんち)の造(つく)り主(ぬし)なる神(かみ)さまは、ご自身(じしん)の栄光(えいこう)の座(ざ)としてわたくしたちを造(つく)りました。そのわたくしたちのところへと、人(ひと)の子(こ)主(しゅ)イエスは世(よ)の終(お)わりの勝利者(しょうりしゃ)として来(き)てくださいます。主(しゅ)イエスはわたくしたちを取(と)り巻(ま)く全(すべ)てに勝利(しょうり)し、死(し)から復活(ふっかつ)させ、主(しゅ)イエスにおいて始(はじ)められた永遠(えいえん)の命(いのち)に与(あずか)らせてくださいます。

わたくしたちの始(はじ)まりも、終(お)わりも、造(つく)り主(ぬし)なる神(かみ)さまの大(おお)いなる眼差(まなざ)しのもとにあり、わたくしたちはどこまでもこの神(かみ)の祝福(しゅくふく)の中(なか)にあります。この祝福(しゅくふく)を、神(かみ)は御子(みこ)イエスを死(し)から復活(ふっかつ)させて明(あき)らかにしたのであり、これを告(つ)げ知(し)らせる礼拝(れいはい)によって、わたくしたちもこの神(かみ)の眼差(まなざ)しのもとにおいてくださるのです。