2017年3月19日日曜日

「神を愛し隣人を愛す」マタイによる福音書22:33-40

主(しゅ)イエスのもとに来(き)た律法(りっぽう)の専門(せんもん)家(か)が尋(たず)ねました。「律法(りっぽう)の中(なか)で、どの掟(おきて)が最(もっと)も重要(じゅうよう)でしょうか」。主(しゅ)イエスは言(い)います。「『心(こころ)を尽(つ)くし、精神(せいしん)を尽(つ)くし、思(おも)いを尽(つ)くして、あなたの神(かみ)である主(しゅ)を愛(あい)しなさい』。これが最(もっと)も重要(じゅうよう)な第一(だいいち)の掟(おきて)である。第二(だいに)も、これと同(おな)じように重要(じゅうよう)である。『隣(りん)人(じん)を自分(じぶん)のように愛(あい)しなさい』」。
これは十戒(じっかい)の要約(ようやく)であり律法(りっぽう)の中(ちゅう)心(しん)ですが、主(しゅ)イエスは何(なに)かわたくしたちが前提(ぜんてい)なしに「神(かみ)を愛(あい)し隣人(りんじん)を愛(あい)しなさい」とは言(い)いません。十戒(じっかい)に先立(さきだ)ち神(かみ)はご自分(じぶん)の民(たみ)を救(すく)った事実(じじつ)を示(しめ)します。「わたしは主(しゅ)、あなたの神(かみ)、あなたをエジプトの国(くに)、奴隷(どれい)の家(いえ)から導(みちび)き出(だ)した神(かみ)である(出エジプト20:1)」。神(かみ)こそが、わたくしたちに目(め)を留(と)め、わたくしたちの叫(さけ)びを聞(き)き、わたくしたちを愛(あい)し受(う)け入(い)れてくださいます。神(かみ)が愛(あい)しておられるからこそ、わたくしたちにとってこの掟(おきて)が重要(じゅうよう)だ、と主(しゅ)イエスは言(い)います。
神(かみ)こそが、どこまでもわたくしたちを愛(あい)してくださいます。このお方(かた)はわたくしたちが死(し)を前(まえ)にしても、愛(あい)し受(う)け入(い)れてくださいます。わたくしたちは愛(あい)する者(もの)の死(し)を前(まえ)にして、その人(ひと)と結(むす)んだ手(て)をいつか離(はな)さなくてはなりません。しかし、神(かみ)はこの手(て)を離(はな)すことがありません。この神(かみ)は、死(し)にゆくわたくしたちをなお愛(あい)し受(う)け入(い)れる、永遠(えいえん)の父(ちち)です。この約束(やくそく)を、十字架(じゅうじか)で死(し)んだ主(しゅ)イエスを死(し)から復活(ふっかつ)させて明(あき)らかにしました。わたくしたちは死(し)を越(こ)えて交(まじ)わる約束(やくそく)を頂(いただ)くのです。

律法(りっぽう)は、何(なに)かわたくしたちが守(まも)らねば救(すく)ってくれないかのような条件(じょうけん)ではありません。主(しゅ)イエスが挙(あ)げた二(ふた)つの掟(おきて)は、むしろ復活(ふっかつ)の主(しゅ)イエスがわたくしたちをここへと導(みちび)く希望(きぼう)です。今(いま)や、わたくしたちが死(し)んでもこの実現(じつげん)へと立(た)ち上(あ)がらせられる希望(きぼう)として、わたくしたちに示(しめ)されています。わたくしたちを愛(あい)する神は、わたくしたちの隣人(りんじん)をも受(う)け入(い)れてくださいます。この神(かみ)にわたくしたちは信頼(しんらい)して良(よ)いのです。