2017年1月22日日曜日

「ろばに乗ってきた王」マタイによる福音書21:1-11

(しゅ)イエスとその一行(いっこう)(みやこ)エルサレムに(ちか)づきました。(しゅ)イエスは二人(ふたり)弟子(でし)をベトファゲという(むら)につかわして、めろばと()ろばを()いて()させます。ご自身(じしん)がその(うえ)()るためにです。弟子(でし)たちは(しゅ)イエスに(めい)じられた(とお)りにします。そしてつないであっためろばと()ろばを()いて()て、上着(うわぎ)をかけました。(しゅ)イエスはその(うえ)()って、(みやこ)エルサレムに(はい)ってゆきます。
大勢(おおぜい)群衆(ぐんしゅう)(しゅ)イエスの(まえ)にも(あと)にも(つづ)きました。群衆(ぐんしゅう)は、自分(じぶん)上着(うわぎ)(みち)()いたり、()(のぼ)(えだ)()って、その(えだ)(みち)()いたりしました。そこを(しゅ)イエスに(とお)ってもらうためにです。まるで(おう)さまが行進(こうしん)(みやこ)凱旋(がいせん)するようです。群衆(ぐんしゅう)は、まるで(あたら)しい(おう)さまが即位(そくい)するのを(よろこ)ぶように、(しゅ)イエスの入城(にゅうじょう)(よろこ)び、「ホサナ」とたたえました。「どうか(しゅ)よ、わたしたちに(すく)いを(詩編118:25)」と(さけ)び、(しゅ)イエスを(すく)(ぬし)としてお(むか)えしたのです。
群衆(ぐんしゅう)大喜(おおよろこ)びして(しゅ)イエスをエルサレムに(むか)えます。しかしこの群衆(ぐんしゅう)五日(いつか)(のち)(しゅ)イエスを(とら)え(26:55)、「十字架(じゅうじか)につけろ」と(さけ)びます(27:23)。(しゅ)イエスをたたえる群衆(ぐんしゅう)態度(たいど)(あざけ)りへと()わります。それは、自分(じぶん)たちの期待(きたい)した(しゅ)イエスが、自分(じぶん)たちの(おも)(えが)(すく)(ぬし)ではなかったからです。(しゅ)イエスは十字架(じゅうじか)につけられ、()んでゆかれます。

けれどもマタイによる福音書(ふくいんしょ)はこれがゼカリヤ9:9の預言(よげん)実現(じつげん)だといいます。「()よ、お(まえ)(おう)がお(まえ)のところにおいでになる。柔和(にゅうわ)(かた)で、ろばに()り、()()うろばの()()ろばに()って」。群衆(ぐんしゅう)(しゅ)イエスを歓迎(かんげい)したときも、(あざけ)って見放(みはな)したときも、(こころ)()(おお)いがかかったままでした。しかしその(かれ)らのところに、たしかに(しゅ)イエスは()たのです。(かみ)さまは、この(しゅ)イエスを十字架(じゅうじか)()から復活(ふっかつ)させ、この(かた)がまことの(おう)(すく)(ぬし)であることを(あき)らかにしました。わたくしたちの(おも)いを()(やぶ)って、わたくしたちをお(すく)いになる(かみ)がおられます。