主イエスとその一行が都エルサレムに近づきました。主イエスは二人の弟子をベトファゲという村につかわして、めろばと子ろばを引いて来させます。ご自身がその上に乗るためにです。弟子たちは主イエスに命じられた通りにします。そしてつないであっためろばと子ろばを引いて来て、上着をかけました。主イエスはその上に乗って、都エルサレムに入ってゆきます。
大勢の群衆が主イエスの前にも後にも続きました。群衆は、自分の上着を道に敷いたり、木に登り枝を切って、その枝を道に敷いたりしました。そこを主イエスに通ってもらうためにです。まるで王さまが行進し都を凱旋するようです。群衆は、まるで新しい王さまが即位するのを喜ぶように、主イエスの入城を喜び、「ホサナ」とたたえました。「どうか主よ、わたしたちに救いを(詩編118:25)」と叫び、主イエスを救い主としてお迎えしたのです。
群衆は大喜びして主イエスをエルサレムに迎えます。しかしこの群衆が五日後に主イエスを捕え(26:55)、「十字架につけろ」と叫びます(27:23)。主イエスをたたえる群衆の態度は嘲りへと変わります。それは、自分たちの期待した主イエスが、自分たちの思い描く救い主ではなかったからです。主イエスは十字架につけられ、死んでゆかれます。
けれどもマタイによる福音書はこれがゼカリヤ9:9の預言の実現だといいます。「見よ、お前の王がお前のところにおいでになる。柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って」。群衆は主イエスを歓迎したときも、嘲って見放したときも、心の目に覆いがかかったままでした。しかしその彼らのところに、たしかに主イエスは来たのです。神さまは、この主イエスを十字架の死から復活させ、この方がまことの王、救い主であることを明らかにしました。わたくしたちの思いを打ち破って、わたくしたちをお救いになる神がおられます。