エリコからエルサレムへと向かう道端に二人の盲人が座っていました。二人はそこをイエスがお通りと聞いて、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫びます。主イエスは立ち止まり、叫びに応え、その目に触れ、見えるようにしました。
主イエスはすでに来てくださいました。わたくしたちは何も当てなく叫ぶのではありません。主イエスはご自身の十字架の死と死からの復活において、神がわたくしたちの死に打ち勝つお方であることを証しました。神さまはこの方を与えてくださいました。まことの人として誕生し、十字架の死においてわたくしたちと同じ死をその身に遂げてくださった神の子イエス。天地の造り主なる神さまは、この御子イエスを死者の中から復活させ、父なる神としての決して変わることのない慈しみを、わたくしたちに示してくださったのです。
この父なる神の眼差しの中に、わたくしたちは置かれています。神さまは「わたしの子よ」と一人一人を呼んでおられます。暗闇に住むわたくしたちに介入し慈しんで止まない、神がおられるのです。この神を示してくださった主イエスに向かって、わたくしたちは叫びます。わたくしたちの死に勝利した主イエスに向かって叫ぶのです。あの二千年前に来てくださった復活の主イエスが、このわたしに来てくださるように。神がこのわたしの歩みに御手を伸ばし介入してくださいますように、と。
神さまは闇の中にあるわたくしたちの叫びを聞いておられます。はらわたのよじれるような痛みを覚え、なんとしてでもわたくしたちを取り戻そうとしておられます。この神の慈しみは、わたくしたちの死さえも超え、わたくしたちへと注がれ、届けられます。わたくしたちを新たに造り変えてくださる、神がおられます。死んだ者にさえ造り主はなお慈しみ、ご自身と共にある命へとわたくしたちを新たに生かしてくださるのです。