2017年1月8日日曜日

「主の憐れみと慈しみ」マタイによる福音書20:29-34

エリコからエルサレムへと向(む)かう道端(みちばた)に二人(ふたり)の盲人(もうじん)が座(すわ)っていました。二人(ふたり)はそこをイエスがお通(とお)りと聞(き)いて、「主(しゅ)よ、ダビデの子(こ)よ、わたしたちを憐(あわ)れんでください」と叫(さけ)びます。主(しゅ)イエスは立(た)ち止(ど)まり、叫(さけ)びに応(こた)え、その目(め)に触(ふ)れ、見(み)えるようにしました。
主(しゅ)イエスはすでに来(き)てくださいました。わたくしたちは何(なに)も当(あ)てなく叫(さけ)ぶのではありません。主(しゅ)イエスはご自(じ)身(しん)の十字架(じゅうじか)の死(し)と死(し)からの復活(ふっかつ)において、神(かみ)がわたくしたちの死(し)に打(う)ち勝(か)つお方(かた)であることを証(あかし)しました。神(かみ)さまはこの方(かた)を与(あた)えてくださいました。まことの人(ひと)として誕生(たんじょう)し、十字架(じゅうじか)の死(し)においてわたくしたちと同(おな)じ死(し)をその身(み)に遂(と)げてくださった神(かみ)の子(こ)イエス。天地(てんち)の造(つく)り主(ぬし)なる神(かみ)さまは、この御子(みこ)イエスを死者(ししゃ)の中(なか)から復活(ふっかつ)させ、父(ちち)なる神(かみ)としての決(けっ)して変(か)わることのない慈(いつく)しみを、わたくしたちに示(しめ)してくださったのです。
この父(ちち)なる神(かみ)の眼差(まなざ)しの中(なか)に、わたくしたちは置おかれています。神かみさまは「わたしの子こよ」と一人ひとり一人ひとりを呼よんでおられます。暗闇くらやみに住すむわたくしたちに介入かいにゅうし慈いつくしんで止やまない、神かみがおられるのです。この神かみを示しめしてくださった主しゅイエスに向むかって、わたくしたちは叫さけびます。わたくしたちの死しに勝利しょうりした主しゅイエスに向むかって叫さけぶのです。あの二千年前にせんねんまえに来きてくださった復活ふっかつの主しゅイエスが、このわたしに来きてくださるように。神かみがこのわたしの歩あゆみに御手みてを伸のばし介入かいにゅうしてくださいますように、と。

神(かみ)さまは闇(やみ)の中(なか)にあるわたくしたちの叫(さけ)びを聞(き)いておられます。はらわたのよじれるような痛(いた)みを覚(おぼ)え、なんとしてでもわたくしたちを取(と)り戻(もど)そうとしておられます。この神(かみ)の慈(いつく)しみは、わたくしたちの死(し)さえも超(こ)え、わたくしたちへと注(そそ)がれ、届(とど)けられます。わたくしたちを新(あら)たに造(つく)り変(か)えてくださる、神(かみ)がおられます。死(し)んだ者(もの)にさえ造(つく)り主(ぬし)はなお慈(いつく)しみ、ご自身(じしん)と共(とも)にある命(いのち)へとわたくしたちを新(あら)たに生(い)かしてくださるのです。