2016年12月18日日曜日

「救い主に仕えられ」マタイによる福音書20:17-28

主(しゅ)イエスは言(い)います。「あなたがたの中(なか)で偉(えら)くなりたい者(もの)は、皆(みな)に仕(つか)える者(もの)になり、いちばん上(うえ)になりたい者(もの)は、皆(みな)の僕(しもべ)になりなさい」。
わたくしたちは人前(ひとまえ)に立(た)ったり、お役(やく)についたりすることなど、望(のぞ)まないかもしれません。人々(ひとびと)の矢面(やおもて)に立(た)たされ、批判(ひはん)を受(う)け、あれこれ突(つ)き上(あ)げられるような立場(たちば)です。わざわざ、そのようなところに立(た)ちたくない。そう願(ねが)うかもしれません。けれどもむしろ僕(しもべ)として皆(みな)に仕(つか)えるため、その場(ば)に立(た)たされている。主(しゅ)イエスはそうご覧(らん)です。そこに、父(ちち)なる神(かみ)さまこそが立(た)たせます。ですから、父(ちち)なる神(かみ)さまが自分(じぶん)にこの道(みち)を定(さだ)めたと受(う)け止(と)め、命(めい)じてくださった神(かみ)の言葉(ことば)に聞(き)くよう、主(しゅ)イエスはわたくしたちに求(もと)めます。
主(しゅ)イエスご自身(じしん)、父(ちち)なる神(かみ)さまが定(さだ)めた道(みち)を、繰(く)り返(かえ)し問(と)い直(なお)しました。そして父(ちち)なる神(かみ)さまが語(かた)る言葉(ことば)に聞(き)き続(つづ)けたのです(17:3,5)。この主(しゅ)イエスの後(あと)にわたくしたちは従(したがいます。主しゅイエスは、何なにに向むかってご自身じしんが進すすむのか、わたくしたちへと改あらためて語かたります。「人ひとの子こが、仕つかえられるためではなく仕つかえるために、また、多おおくの人ひとの身代金みのしろきんとして自分じぶんの命いのちを献ささげるために来きた」。主しゅイエスは十字架じゅうじかでその命いのちを献ささげるため、父ちちなる神かみさまが定さだめた道みちを行ゆきます。

わたくしたちは父(ちち)なる神(かみ)さまがわたくしたちに定(さだ)めた道(みち)を行きます。しかも、復活(ふっかつ)させられた主(しゅ)イエスが王(おう)として支配(しはい)する中(なか)にあって進(すす)むことができます。わたくしたちは、生(い)きるにも死(し)ぬにも、この主(しゅ)イエスの僕(しもべ)として、主(しゅ)イエスのために用(もち)いられるのです。主(しゅ)イエスご自身(じしん)、十字架(じゅうじか)の死(し)において命(いのち)を献(ささ)げ、わたくしたちを神(かみ)のものとして神(かみ)さまのもとへ引(ひ)き上(あ)げてくださいました。この主(しゅ)イエスが、わたくしたちにお仕(つか)えくださっているからこそ、わたくしたちは、命(めい)じられたことに身(み)を献(ささ)げ、ご用(よう)にお仕(つか)えし、父(ちち)なる神(かみ)さまが定(さだ)めた道(みち)を行(ゆ)かせていただくのです。そのわたくしたちと、神(かみ)は共(とも)におられます。