主イエスは言います。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」。
わたくしたちは人前に立ったり、お役についたりすることなど、望まないかもしれません。人々の矢面に立たされ、批判を受け、あれこれ突き上げられるような立場です。わざわざ、そのようなところに立ちたくない。そう願うかもしれません。けれどもむしろ僕として皆に仕えるため、その場に立たされている。主イエスはそうご覧です。そこに、父なる神さまこそが立たせます。ですから、父なる神さまが自分にこの道を定めたと受け止め、命じてくださった神の言葉に聞くよう、主イエスはわたくしたちに求めます。
主イエスご自身、父なる神さまが定めた道を、繰り返し問い直しました。そして父なる神さまが語る言葉に聞き続けたのです(17:3,5)。この主イエスの後にわたくしたちは従います。主イエスは、何に向かってご自身が進むのか、わたくしたちへと改めて語ります。「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」。主イエスは十字架でその命を献げるため、父なる神さまが定めた道を行きます。
わたくしたちは父なる神さまがわたくしたちに定めた道を行きます。しかも、復活させられた主イエスが王として支配する中にあって進むことができます。わたくしたちは、生きるにも死ぬにも、この主イエスの僕として、主イエスのために用いられるのです。主イエスご自身、十字架の死において命を献げ、わたくしたちを神のものとして神さまのもとへ引き上げてくださいました。この主イエスが、わたくしたちにお仕えくださっているからこそ、わたくしたちは、命じられたことに身を献げ、ご用にお仕えし、父なる神さまが定めた道を行かせていただくのです。そのわたくしたちと、神は共におられます。