造り主なる神さまは、わたくしたちをわたくしたちの外へと引き出し、神さまと共にある命に生かします。その命とは、死から復活させられた主イエスの命です。
もしわたくしたちが、自分の考える枠組みの中で留まるほかないのなら、その命は、枠が充たされて死んで終わるほかないでありましょう。しかし神さまはそのわたくしたちを、死すべき命に埋没することから導き出し、もはや死で終わることのない、永遠の命に生かしてくださいます。神さまは、十字架で死んだ主イエスを、死者の中から復活させました。
復活など、十字架で死んでゆく主イエスを見た者には、とても考えられないことでした。どう見ても希望のない、絶望の死を、主イエスは十字架でその身に受けたのです。ところが、その主イエスが復活させられました。神さまは、主イエスの復活を告げ知らせることにより、わたくしたちをわたくしたちの外へと引き出し、造り主なるご自身のもとへと立たせます。自分の外に立つ者との出会いは、なお内に立つ者を外へと引き出します。わたくしたちが外に立つことを求めます。今やわたくしたちが生きるのは、人からの、地上に由来する命に過ぎないのか。それとも、この地上へと命を与えた天からの命なのか。マタイによる福音書はわたくしたちに問います。
人からのものに過ぎないなら、わたくしたちは死が終点となります。そうでありながら、何のために努力までして成長せねばならないのか、なぜ人のために生きなければならないのか、若者に何と答えられるでしょうか。
造り主なる神さまは、わたくしたちを天からの命に生かします。わたくしたちをも、死から命へと、日々新たに、ご自身の前に生かしてくださいます。もはやわたくしたちを、死という絶望へと向かって生きながらえさせるのではなく、神はそこから導き出し、死を越えて、ご自身と共にある命へと新たに生かしてくださるのです。