2016年8月7日日曜日

「己の外に立つ希望」マタイによる福音書13:53-58

造(つく)り主(ぬし)なる神(かみ)さまは、わたくしたちをわたくしたちの外(そと)へと引(ひ)き出(だ)し、神(かみ)さまと共(とも)にある命(いのち)に生(い)かします。その命(いのち)とは、死(し)から復活(ふっかつ)させられた主(しゅ)イエスの命(いのち)です。
もしわたくしたちが、自分(じぶん)の考(かんが)える枠組(わくぐ)みの中(なか)で留(とど)まるほかないのなら、その命(いのち)は、枠(わく)が充(み)たされて死(し)んで終(お)わるほかないでありましょう。しかし神(かみ)さまはそのわたくしたちを、死(し)すべき命(いのち)に埋没(まいぼつ)することから導(みちび)き出(だ)し、もはや死(し)で終(おわ)わることのない、永遠(えいえん)の命(いのち)に生(い)かしてくださいます。神(かみ)さまは、十字架(じゅうじか)で死(し)んだ主(しゅ)イエスを、死者(ししゃ)の中(なか)から復活(ふっかつ)させました。
復活(ふっかつ)など、十字架(じゅうじか)で死(し)んでゆく主(しゅ)イエスを見(み)た者(もの)には、とても考(かんが)えられないことでした。どう見(み)ても希(き)望(ぼう)のない、絶望(ぜつぼう)の死(し)を、主(しゅ)イエスは十(じゅう)字架(じか)でその身(み)に受(う)けたのです。ところが、その主(しゅ)イエスが復活(ふっかつ)させられました。神(かみ)さまは、主(しゅ)イエスの復活(ふっかつ)を告(つ)げ知(し)らせることにより、わたくしたちをわたくしたちの外そとへと引ひき出だし、造つくり主ぬしなるご自身じしんのもとへと立たたせます。自じ分ふんの外そとに立たつ者ものとの出会であいは、なお内うちに立たつ者ものを外そとへと引ひき出だします。わたくしたちが外そとに立たつことを求もとめます。今いまやわたくしたちが生いきるのは、人ひとからの、地上ちじょうに由来ゆらいする命いのちに過すぎないのか。それとも、この地上ちじょうへと命いのちを与あたえた天てんからの命いのちなのか。マタイによる福音書ふくいんしょはわたくしたちに問といます。
人(ひと)からのものに過(す)ぎないなら、わたくしたちは死(し)が終点(しゅうてん)となります。そうでありながら、何(なん)のために努力(どりょく)までして成長(せいちょう)せねばならないのか、なぜ人(ひと)のために生(い)きなければならないのか、若者(わかもの)に何(なん)と答(こた)えられるでしょうか。

造(つく)り主(ぬし)なる神(かみ)さまは、わたくしたちを天(てん)からの命(いのち)に生(い)かします。わたくしたちをも、死(し)から命(いのち)へと、日々(ひび)新(あら)たに、ご自身(じしん)の前(まえ)に生(い)かしてくださいます。もはやわたくしたちを、死(し)という絶望(ぜつぼう)へと向(む)かって生(い)きながらえさせるのではなく、神(かみ)はそこから導(みちび)き出(だ)し、死(し)を越(こ)えて、ご自身(じしん)と共(とも)にある命(いのち)へと新(あら)たに生(い)かしてくださるのです。