わたくしたちは、自分に実りがもたらされると、信じているでしょうか。わたくしたちの命の造り主である神さまは、わたくしたちのこの身に、ここから実りをもたらしてくださる。そう信じているでしょうか。造り主なる神さまは、わたくしたちの死すべきこの身に、ここから実りをもたらします。ここから収穫をもたらしてくださいます。神さまはわたくしたちに実りの日をもたらしてくださるのです。
わたくしたちの命を造った神さまは、わたくしたちを慈しみ、わたくしたちに実りをもたらすことを願っています。また、わたくしたちが実りのはじまりとなることを願っています。そして主イエスはわたくしたちが、造り主なる神さまから注がれる慈しみを受けるため、この神に願い求めるようわたくしたちに命じます。
「わたしたちを憐れんでください」と叫ぶ二人の盲人の訴えを、主イエスはここですぐには聞き入れませんでした。二人の目を開けることを主イエスはおできになる。ですが、すぐにそうはしません。主イエスはこの二人の心の目をこそ開き、神さまがこの二人へと注いで止まない慈しみに、与らせようとします。ここから実りをもたらす神との交わりに、主イエスはこの二人を生かそうというのです。神さまはこの二人に実りをもたらしてくださる。
「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」。十字架の死を前に主イエスは願い求めました。しかし主イエスの願いは、その通りはかないませんでした。主イエスは十字架で死んでゆきます。
主イエスへと注がれる神さまの慈しみは、十字架で死んだ主イエスを復活させることをもって、実りをもたらしました。造り主なる神さまの慈しみは、わたくしたちが死んでもなおやまず、実りをもたらします。主は死を越えてわたくしたちを慈しみ、わたくしたちに実りをもたらし、実りのはじまりとしてくださるのです。