2015年5月3日日曜日

「あなたを聖とする神」ヨハネによる福音書 17:6-19

御子イエスはご自身へと父なる神さまが与えた者たちについて、「彼らを聖なる者としてください」と、父なる神さまに祈りました。そして「彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです」と十字架の死を前にしたご自身の思いを、ここで確認します。

ここで「ささげる」と訳された言葉と「聖なる者とする」と訳された言葉は同じです。口語訳聖書ではどちらも「聖別する」と訳されました。「ささげる」という訳は「聖なる者とする」という言葉を知る上で助けとなります。旧約聖書において聖とは天地創造の神の本質を表し、誰かを聖別するということはすなわち、その人を神のために取り分けて、神のものとして神へとささげることを意味するからです(たとえばレビ記20:26)。

わたくしたちの命を造られた神さまは聖なる御方です。御子イエスもこの祈りの中で、「聖なる父よ」と呼び求めます。ただ、この神さまが聖であるということは、なにか聖なる御方としてわたくしたちとは関係のないどこかにいるということを意味するのではありません。むしろ、わたくしたちの命の造り主なる神さまは、聖なる者ではなかったわたくしたちのところへとやって来られ、御手を伸ばして、わたくしたちへと関わることを願います。もし、神さまが単独で聖なる方としてあり続けることを望むのなら、そうなさるでしょう。わたくしたちに知られることもなく、関わりを持つこともなく、どこかで聖なる方としておられれば良かったのです。
ですが、わたくしたちの命を造られた神さまは、そうではありません。お造りくださったわたくしたち一人ひとりを追い求め、捜し出し、ご自身のもの、聖なる者として、神さまの前に立たせる御方です(創世記3:9)。

「彼らを聖なる者としてください」と御子イエスは父なる神さまに祈ります。造り主なる神さまが聖であることを、このわたくしたちへと及ぼしてくださるよう祈り求めておられる主イエス・キリストがおられます。

造り主なる神さまは、聖である御自身の本質をわたくしたちへと及ぼし、わたくしたちを聖なる者となさいます。この御方がそうしてくださるわたくしたちの聖なる父だということを、神さまは御子イエスを十字架の死から復活させて明らかにされました。父なる神さまはこの復活の知らせをわたくしたちへと告げ、わたくしたちをもご自身のものとして永遠の命の交わりに生かしてくださいます。