2015年5月17日日曜日

「屠られた神の小羊」ヨハネによる福音書 18:1-14


ヨハネによる福音書(ふくいんしょ)は、主(しゅ)イエスが十字架(じゅうじか)で死(し)んだ日(ひ)が、過越祭(すぎこしさい)でささげる小羊(こひつじ)を屠(ほふ)る日(ひ)であったと伝(つた)えます(13:1)。主(しゅ)イエスは屠(ほふ)られた神(かみ)の小羊(こひつじ)として、十字架(じゅうじか)の死(し)をもって神(かみ)さまにご自身(じしん)をささげられたのです。
過越祭(すぎこしさい)はイスラエルの人々(ひとびと)の出(しゅつ)エジプトを記念(きねん)する祭(まつり)です。エジプトでイスラエルの人々(ひとびと)を支配(しはい)していたファラオの手(て)から彼(かれ)らを解放(かいほう)するため、神(かみ)さまは数々(かずかず)の災(わざわ)いを起(お)こし、その最後(さいご)に、エジプト中(じゅう)の初子(ういご)を撃(う)つという災(わざわ)いを起(お)こします。その夜(よる)、神(かみ)さまはエジプトの国(くに)を巡(めぐ)り、初子(ういご)をすべて撃(う)たれました。けれども、イスラエルの人々(ひとびと)には予(あらかじ)め、指導者(しどうしゃ)モーセを通(とお)してこのように行(おこな)うことが求(もと)められていました。それは、この日(ひ)、傷(きず)のない一歳(さい)の雄(おす)の小羊(こひつじ)を屠(ほふ)って、その血(ち)を家(いえ)の入(い)り口(ぐち)の二本(ほん)の柱(はしら)と鴨居(かもい)に塗(ぬ)ること、その夜(よる)、肉(にく)を火(ひ)で焼(や)いて食(た)べることです(出エジプト12)。この家(いえ)に塗(ぬ)った血(ち)はしるしとなり、血(ち)を見(み)たならば、神(かみ)さまはその入(い)り口(ぐち)を過(す)ぎ越(こ)されます。滅(ほろ)ぼす者(もの)が家(いえ)に入(はい)って撃(う)つことはないのです。
主(しゅ)イエスは、この屠(ほふ)られた神(かみ)の小羊(こひつじ)として、ご自身(じしん)を十字架(じゅうじか)でささげられました。主(しゅ)イエスはご自身(じしん)の言葉(ことば)を満(み)たされます。「あなたが与(あた)えてくださった人(ひと)を、わたしは一人(ひとり)も失(うしな)いませんでした(9)」「わたしが保護(ほご)したので、滅(ほろ)びの子(こ)のほかは、だれも滅(ほろ)びませんでした(17:12)」。主(しゅ)イエスは十字架(じゅうじか)の死(し)において、わたくしたちを滅(ほろ)ぼす者(もの)から守(まも)るべく、自(みずか)らを神(かみ)さまに明(あ)け渡(わた)されたのです。
この主(しゅ)イエスを神(かみ)さまは死者(ししゃ)の中(なか)から復活(ふっかつ)させました。この復活(ふっかつ)において神(かみ)さまは、ご自身(じしん)が独(ひと)り子(ご)イエスを十字架(じゅうじか)の死(し)に明(あ)け渡(わた)してまで、わたくしたち一人(ひとり)ひとりを愛(あい)しておられること、独(ひと)り子(ご)を信(しん)じる者(もの)が一人(ひとり)も滅(ほろ)びないで、永遠(えいえん)の命(いのち)を得(え)ることを(3:16)、証(あか)ししてくださいました。そしていよいよ、その神(かみ)さまのご意志(いし)をわたくしたちのこの身(み)に約束(やくそく)すべく、御子(みこ)イエス・キリストの復活(ふっかつ)を記念(きねん)する礼拝(れいはい)へとわたくしたちを招(まね)き、この方(かた)の十字架(じゅうじか)の死(し)と死(し)からの復活(ふっかつ)を宣(の)べ伝(つた)えておられます。