2015年3月1日日曜日

「差し出された神の命」ヨハネによる福音書 13:21-38

主イエスはご自身が十字架につけられる前日の晩、弟子たちと夕食を共になさいました。そして食事の席から立った主イエスは弟子たちの足を一人ひとり洗い、ぬぐって差し上げました。主であるイエスがしもべとなって弟子たちに仕えることにより、神さまがどのように彼らを愛しておられるのかを、お示しになったのです。

洗い終えて主イエスは弟子たちに言いました。「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」。主イエスの教えはいつもここへ向かっていました。お互いに愛し合い、隣人他者に自らを差し出すこと。自らに死んで得る命があることを、主イエスはいつも教えておられました。ヨハネによる福音書はこの主イエスの教えを受けた者たちがとった二つの態度を伝えます。シモン・ペトロとイスカリオテのシモンの子ユダです。

ユダは主イエス一行の金入れを預かっていました。同じ週の日曜日のことですが、ベタニアという村で主イエスがマリアから高価な香油を注がれたとき、彼は言いました。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか」。ユダは愛するということをお金に換算することができました。それは現実的かもしれません。ですが彼は愛するということに冷めていたとも見受けられます。お互いに愛し合い友のために命を捨てるなど、とても当てにならない、非現実的だと彼は聞いたのです。

ペトロはその逆の態度を取ります。彼は情熱をもって、主イエスの教えを実行しようと意気込みます。「あなたのためなら命を捨てます」と。ですがこのペトロも三度も主イエスを知らないと言い、裏切ってしまいました。

愛する者たちに裏切られた主イエスは、十字架につけられ、死んでゆかれます。ですがその死において、主イエスはご自身の命を、愛すべき者たちへと差し出してくださいました。そしてここに、命の造り主なる神さまは御自身の栄光を現してくださいました。それはわたくしたちが与るべく差し出された、父なる神の命でした。

「互いに愛し合いなさい」という教えを願いながら全うできないわたくしたちがいます。ですがその弱さをぬぐってもらいなさい、と復活させられた主イエスは自らをわたくしたちに差し出します。親の愛は子にとって代えることの出来ない宝です。父なる神の愛をまず受けるように、と主イエスは十字架で献げられた命を差し出して、わたくしたちを招かれるのです。