2014年8月10日日曜日

「外にある正義」ヨハネによる福音書 7:1-9

主イエスは言いました。「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている」。あなたがたと言われている相手は、主イエスの兄弟たちです。ガリラヤのカナで婚礼があったとき、主イエスは水をぶどう酒に変えるというしるしをなさいました。それに立ち会い、他にも主イエスのなさったしるしや教えを見聞きしてきた者たちです。

主イエスは、「あなたがたの時はいつも備えられている」とおっしゃり、彼らが主イエスを信じるべき時は準備万端もう出来上がっていると言います。決断すべき時はもう来ている。ですが兄弟たちは他の人々が主イエスを信じなかったように、この方が永遠の命を得させるために天から降ってきた神の聖者だとは信じませんでした。

「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている」。主イエスの時とは、主イエスが栄光をお受けになる時です。それは十字架の死を遂げられる時です。主イエスは十字架で自らの命をささげます。その死によって、天の父なる神さまは信じる者に永遠の命をお与えになる。この初穂として神さまは十字架で死んだ主イエスを復活させました。そして主イエスが受けたその栄光をわたくしたちにも受けさせるべく、神さまは主イエスの時をわたくしたちにもたらしてくださいます。主イエスがおっしゃった「わたしの時」とは主イエスが十字架の死において神さまから栄光を受ける時であり、その十字架の死がわたくしたちに命をもたらす時です。この方を神の子メシアだとわたくしたちが信じ、命を得る時であるのです。

ヨハネによる福音書が書かれた当時、主イエスの兄弟たちは教会の指導者となっていました。この福音書において彼らは、自分たちがかつて「見ても信じない」者であったことを告白します。そして、その自分たちに神さまが「主イエスの時」をもたらしてくださった、と告白するのです。主イエス・キリストを復活させた神さまが、天から聖霊を与えてくださり、彼らを信じる者として新たに生かしました。

主イエスはわたくしたちがいよいよ信じるようにと、ご自身の復活を証し、わたくしたちに仕えておられます。主イエスは十字架の死において神さまの栄光を受け、ご自身の栄光の時を迎えられました。天の父なる神さまは、主イエスに与えられた栄光をわたくしたちに授けるために、永遠の命を得させる主イエスの時をわたくしたちにも来らせてくださるのです。