主イエスがお生まれになる時に、御使いは夫ヨセフに夢で告げました。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」。わたくしたちがそこから救われるべき罪とは、神さまに背を向けて歩もうとすることです。しかしそこで背を向けます相手は、わたくしたちとの交わりを求める、天地万物の造り主です。
わたくしたちが自分の源に背中を向け、これを否定しながら、今日の自分を肯定できるでしょうか。これからの自分を肯定できるでしょうか。わたくしたちが自らの死や絶望に直面する時、この神を知らぬならそう陥るほかないように思います。それほど、死の力はわたくしたちへと入り込んで支配します。わたくしたちは重たい石を転がせず、自らが抱える闇の向こうに光が見えない。わたくしたちは罪から救われる必要があり、救い主を待ち望んでいるのです。
この、死の向こうから、闇を突き破る知らせが、わたくしたちへと届けられました。神さまは、十字架で死んで葬られた御子イエス・キリストを死者の中から復活させました。造り主なる神さまは主イエスの復活において、わたくしたちが迎える死をも打ち破り、神共にある命の道を、切り拓いてしまったのです。造り主なるこのお方は、わたくしたちをそのように立ち上がらせ、共にこの方と歩ませるべく、礼拝においてこの良き知らせをわたくしたちへと伝えておられます。
神さまはこの主イエスの復活を告げ知らせ、聖霊なる神の御力によって、わたくしたちにもこの道を歩ませてくださいます。心に留めたいのは、神さまは、わたくしたちが思う通りには、信じる道を開くわけではない、ということです。むしろ、わたくしたちの思いを打ち破る仕方で、思いもしなかった道を開いてしまう、神さまがおられます。そこでわたくしたちは喜びのうちに、開かれた命の道を歩むことを得させていただけるのです。