2014年12月14日日曜日

「人の定め、神の定め」ルカによる福音書 1:57-66

「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである」。主の御使いにそう言われ、祭司ザカリアは口が利けないままでした。年をとった妻エリサベトが身ごもった後も、そうでした。御使いのお告げの通りエリサベトが男の子を産んでからも、ザカリアは口が利けないままでした。

男の子が生まれて八日目、神さまが定めた律法に従って、男の子に割礼を施す日が来ました。併せてこのとき、男の子に名をつけることになりました。割礼のために集まってきた人々は、父親の名をとってザカリアと名付けようとしました。けれども妻エリサベトは、ヨハネと名付けることを求めます。主が御使いによって夫ザカリアに男の子の誕生を約束してくださったとき、その名をヨハネと名付けるよう命じられていたからです。

御使いのお告げを知らない人々は、エリサベトの求めがおかしなものと聞こえ、父ザカリアに確認します。するとザカリアは、文字を書く板に「ヨハネこそ、この子の名である」と記しました。人々はふしぎに思いましたが、さらに驚かされたのは、ヨハネという名が付けられたこの時、ザカリアの口が開き、舌がほどけたことです。ザカリアは神さまへの賛美を口にします。

神さまはザカリアに、時が来れば実現する神の言葉を告げておられました。ザカリアはこの言葉と共にあったのです。それは今生きて働かれる神さまが共におられたということです。

神殿の聖所で神さまの御前に香をたくのは、神さまがお定めになった大切な務めでした。その役を担った祭司ザカリアでしたが、神さまの御前で、今生きて働かれる神さまが共におられるということを信じられませんでした。口が利けなくなったことで彼は自らの内奥を不信にしていたことを知りました。

けれどもそのところにこそ、神さまは御手を及ぼされます。ザカリアを大いに慈しむ神さまは、彼に今生きて働かれる神さまへの信仰を与えました。そうでなければ、人の定めに従って、人々の言う通りザカリアと名付ければ良かったのです。そうではない道を神さまはザカリアに行かせました。神さまが共にいる、神の約束が実現する道を行かせるのです。イエス・キリストの誕生は、今生きて働かれる神がわたくしたちと共におられるという約束をわたくしたちにも告げています。キリストの十字架の死からの復活はわたくしたちの生の根本に届けられた、共におられる神の約束なのです。