2014年9月14日日曜日

「開かれた新しい道」ヨハネによる福音書 8:1-11

主イエスが神殿の境内で人々に教えておられると、律法学者やファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕えられた女を連れてきました。彼らは主イエスに問います。「こういう女は石で打ち殺せと律法で命じられている。あなたはこの女に何と言うのか」。

彼らは主イエスを裁き人として立たせ、この女にどう判断を下すのか問うたのです。律法に反する行動について主イエスが容赦するようなことがこれ以上あれば、それは彼らにとって認められませんでした。もし彼女を石で打ち殺すな、と主イエスが言うなら、いよいよ今度は主イエスを捕えて裁きにかけようというのです。
主イエスは沈黙されます。そしてしつこく問う彼らに対し主イエスは「まず、罪のない者がこの女に石を投げるように」と言いました。

すると年長者から一人また一人と、その場を立ち去り、主イエスとその女だけがそこに残りました。主イエスは「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言い、女に新しい道を進ませます。

その道は、主イエスが十字架の死をもってささげた命によって世に開かれた、永遠の命の道です。主イエスは何か世にあって人を罪の内につなぎ止めるために天からやって来られたのではなく、十字架の死に自らを差し出して、その命によって人を罪から取り戻そうとされるのです。このため、ご自身が命をささげて開かれた新しい命の道をこの女に歩ませます。それは、恥じ入ってその場を立ち去った人々に対してもそうです。彼らは主イエスに出会ったことで、自分が罪ある者だということを改めて知りました。しかし主イエスはその彼らを罪の内に留まらせるのではなく、ご自身によって開かれた道を歩ませるのです。

主イエス・キリストを信じるということは、この方をわたしの裁き人として受け入れることであり、この方が十字架で死んでささげた命によって、このわたしが新しい命の道を行かせて頂くことです。わたくしたち一人一人に、永遠の命を与えるために、神さまは主イエスを十字架の死から復活させました。そこに新しい道を開かれました。この方がわたくしたちの裁き主であるからには、わたくしたちは罪の中から解き放たれ、もはやわたくしたちの罪も死も、わたくしたちをつなぎ止めません。罪なきこの方が十字架の死において、わたくしたちの罪を負いきったからです。この主イエス・キリストにおいてわたくしたちは、新しい命の道を行かせて頂けるのです。