2014年7月20日日曜日

「復活へと招く神」ヨハネによる福音書 6:41-50

わたくしたちの命はどこからやって来てどこへと向かうのでしょうか。主イエスは、天の父なる神さまがわたくしたちの命をお造りになったと御覧です。またこの命を、死を越えて永遠の命に生かすことへと神さまが導いておられると御覧です。主イエスはその眼差しへとわたくしたちの心を引き上げ、天にあるわたくしたちの命へと目を向けさせます。

主イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言ったとき、これを聞いたユダヤ人は信じられず、つぶやきはじめました。彼らは主イエスの父も母も知っており、どのような生い立ちであるかも知っていましたから、主イエスが天に属するという主張は受け入れられなかったのです。

わたくしたちは、地上のものにしか目が行き届かないとき、「自分には何もない」とつぶやきます。朽ちるものしか見ないで、その背後にある神さまの御心が見えないからです。主イエスの教えを聞いていた彼らの先祖たちもかつて、荒れ野で天からのパンを神さまから頂きながら、つぶやきました。「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない(民数記11:4-6)」。

朽ちるものにしか向かないわたくしたちの心を主イエスは永遠なるものへと向けさせます。神さまのもとにある、永遠の命へと向けさせるのです。主イエスはわたくしたちのつぶやきを信仰へと変えます。そのため、十字架の死にご自身を明け渡されました。天の父なる神さまの御心へとご自身を差し出されました。

主イエスが十字架で死なれたということは、誰にとっても明らかな事実でした。変わることのない出来事でした。けれどもこの死んだ主イエスが復活されたとき、そこに人々は新しい事実を突き付けられました。朽ちるわたくしたちを永遠の命に生かす神がおられる。主イエスの復活を彼らは主イエスの家系によって納得したのではありません。命の造り主なる神さまが復活させたという「神からの教え」へと彼らは引き上げられたのです。

この主イエスの復活の知らせがわたくしたちの元に届けられました。天の父なる神さまはわたくしたちを教会の礼拝に招き、ご自身のもとにある永遠の命を得ることへと引き寄せておられます。わたくしたちも信じる者とならせ、死を越えて復活させる日へと招いておられるのです。