2014年5月4日日曜日

「刈り入れの喜び」ヨハネによる福音書 4:27-38

わたくしたちの世界や、わたくしたち自身の歩みは、滅びで終わってしまうのでしょうか。それとも、いつか終わったとしても、尽きることのない繁栄をもたらされるのでしょうか。

わたくしたちが知っている命は、やがて終わるものです。そしてこれが滅びで終わるからには、わたくしたちが出来ることと言えば、現状を維持することが精一杯でしょう。進みゆく時間は、わたくしたちに結果として負をもたらすことへと進められます。そのわたくしたちがなぜなおも生きるのか。わたくしたちの命の意味は無によって飲み込まれてしまいかねません。

けれども、わたくしたちの終わりが、本当の終わりが、尽きることのない繁栄であるのなら、わたくしたちの今はそこへと向かわしめられる今となります。たしかに、この歩みが衰えて行くなかでわたくしたちは労苦するかもしれません。そうであっても、この今が、尽きることのない繁栄へと、永遠の命へと至るのであれば。わたくしたちの今は永遠の命との関わりにおいて何らかの意味を持つはずです。豊かにわたくしたちを生かす、意味を持つはずです。

主イエスは言いました。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである(34)」。「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである(6:38-40)」。永遠の命をわたくしたちに知らせ、得させることが主イエスの食べ物だと言います。主イエスは、ご自身が持っているこの食べ物をわたくしたちに与えたい。わたくしたちの今が永遠の命を得るべく与えられた今であることを、共に喜びたい。そう願ってわたくしたちを礼拝へと招き、わたくしたちに語り掛けます。「目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている(35)」。

主イエス・キリストが復活されました。わたくしたちの命の造り主である神さまが、十字架で死んだ主イエスを死者の中から復活させました。そこにおいて神さまは、死で終わるのではない、たとえ死んでも、尽きることのない永遠の命があることを、わたくしたちのこの身に得させることを、わたくしたちに宣言しておられます。もう信じてよいものとして、わたくしたちは招かれ、永遠の命の道を得る道を新たに生かされているのです。