2014年5月11日日曜日

「新しい世界に生きる」ヨハネによる福音書 4:43-54

わたくしたちが何かを信じるということはまるで、その信じる対象が奏でる楽曲に包まれて生きるようなものです。わたくしたちが生きる世界にはどのような音が響いているでしょうか。どのような声が響いているでしょうか。わたくしたちが意識していたとしても、していなかったとしても、わたくしたちは何かしら信じているものの声が響き渡る世界に生きている。そこに何が響き渡っているのか。

カファルナウムにいた王の役人は、この時までどのような声が響き渡る世界に生きていたでしょう。この役人を取り巻いていたのは、「もうだめだ」という声です。自分が愛する息子が死にかかっている。そのなかで、誰に聞いても「もうだめだ」というような声を聞くのです。あきらめろと言われているのです。それがこの役人を包んでいた声でした。そのような世界に生きなければなりませんでした。しかしそう簡単にあきらめることなどできるでしょうか。一度はあきらめようとしたとしても、なおあきらめられない自分というものもそこに見出すのではないでしょうか。

この役人はすべてを投げ打って主イエスのもとにやって来ました。カファルナウムの町から、主イエスがいるカナの町まで、およそ二六キロメートル。それは役人にとって、その日のうちにつくことの出来ない距離でした。死にかかっている息子をおいて、いわば大ばくちをうって、主イエスに行っていやしてもらえるよう願いに来たのです。

この願い出に対して主イエスは「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言い、あなたの注文通りの奇跡など起こらない、と答えました。そして「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と続けて言われました。主イエスはこの役人を、「あなたの息子は生きる」という声の響き渡る世界に新たに生かしたのです。その言葉が満ちる世界へと彼を引き出したのです。

わたくしたちの命の造り主である神さまは、十字架で死んだ主イエスを死人の中から復活させることによって、死を越えてなお意味を持つ言葉をわたくしたちの世界に新たに響かせられました。それは「あなたは生きる」という神の言葉です。この「あなたは生きる」という神の言葉を、わたくしたちの死を越えてすべての者に届けられるべく神さまは響かせておられます。その神の言葉が響く世界へと主イエス・キリストはわたくしたちを引き出して、わたくしたちを新たに生かしておられるのです。