2014年4月20日日曜日

「イエスを復活させた神」ヨハネによる福音書 20:1-18

何者かがわたしの主を取り去ってしまった。悲しみのうちに立ち尽くすマリアに、復活された主イエスは語り掛けました。原文を見ると、マリアへの呼び掛けはここで特別に「マリアム」とあります。彼女の母国語での呼び掛けです。福音書は、彼女の心の奥底にまで届く言葉をもって主イエスがここでマリアに語り掛けたことを伝えるのです。

振り向いてそれが主イエスだと分かると、彼女は喜びのうちに主イエスにすがりつきます。けれどもマリアに主イエスは言われました。「わたしにすがりつくのはよしなさい」。

マリアは、生前の主イエスとの関係が再び与えられたのだと思いました。そして、この関係を手放してなるものかと必死にしがみついていた。けれども主イエスはこれを退けます。それはマリアがこのとき、主イエスの復活を単にラザロの蘇生(第11章)のように、やがて死ぬことになる生に生き返ったのだと受け止めていたからです。

しかし主イエスはもう死ぬことのない、死の支配を受けない、死に勝利した方として死から復活されました。天の父なる神さまのもとへ上る方として死者の中から復活させられたのです。天の父なる神さまは、何か人間の欲や求めによってつなぎ止めることが出来るような偶像となるべくして主イエスを復活させたのではありません。反対に、わたくしたちがこの方につなぎ止められるべく復活させられました。この方につなぎ止められ、この方によって神のもとへとわたくしたちを引き上げるために(17)。

そうなるべく、主イエスはマリアに語り掛け、御自身を顕わし、マリアを新たに生かします。それゆえマリアはもう、空の墓にとどまることはありません。マリアは主イエスの命令に従って、主イエスの言葉を告げに弟子たちのところへ行きます。無から命を創造する神、天の父なる神さまのもとに引き上げてくださる主イエスに、しっかりとつなぎ止められていることを知ったからです。主イエスは言いました、「今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない(16:22)」。

死すべきわたくしたちが、しかし死をへても永遠の命に復活させられるべく、主イエス・キリストにつながれています。その主イエスの語り掛けを、わたくしたちも礼拝において聞くのです。わたくしたちを新たに生かす主イエス・キリストを神さまは復活させられました。