2011年10月2日日曜日

「信仰による救い」ルカによる福音書 7:1-10

「ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください」。百人隊長は自分の願いを主イエスに訴えます。けれども、主イエスにこの願いを聞き入れてもらうのに、自分がふさわしいかどうかを問題としませんでした。救われるのにふさわしい確かさを自分の側にもつのではなかったのです。彼は主イエスの側に拠り所を求め、主イエスへと自らを差し出し、そこに立とうとしたのです。

信仰、それは信じる相手において、自らを確かにすることです。主イエスの御言葉を信じること、それは主イエスの御言葉において、自らを確かにすることです。自分を信じるのではありません。主イエス・キリストを信じるのです。自分の側に確かなふさわしさをもつのではなく、主イエスの側に救いの確かさをおくことが、主イエス・キリストを信じる信仰です。

もし自分を信じるなら、自分が救われるにふさわしいだろうか、とわたくしたちは思い悩みます。また、自分のふさわしさに神がお応えくださるように、と自分の側に救いの根拠をもとうとしてしまいます。

百人隊長はただ一点、主イエスがいやしてくださるなら、主イエスはそれをお出来になるということに、自らを差し出します。主イエスに信頼し、主イエスがいやす御意志をお持ちになること、御言葉によってそれを実現されることを待ち望んだのです。

この後、遣わされた者たちは家に帰って、すっかり元気になった部下を見出します。主イエスが願われた御意志の実現を人々は見たのです。主イエスが神の御言葉をもっておこされた出来事を、彼らは見たのでした。

「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」と主イエスはおっしゃいました。それは何か、主イエスに従う者たちに向かって「もうお前たちは駄目だ」、と切り捨てたのではありません。そうではなくて、「あなたがたにも、神はこのような信仰を与えておられるのだ」、と喜びの知らせを告げられたのです。独り子を十字架に差し出すほどにわたくしたちを愛しておられる神を信頼しなさい、と主イエスはおっしゃる。主イエスはわたくしたちを招いて、勝利の行進に連ならせ、このような信仰をお与えになり、救いの完成の日へと導いてくださっているのです。