2011年9月4日日曜日

「憐れみ深い神」ルカによる福音書 6:27-36


「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」と主イエスはおっしゃいました。わたくしたちが愛するよう求められている相手は、わたくしたちに敵対して、憎んでいる者たちです。ですから、わたくしたちがその相手を愛して親切にすることは、大きな挑戦となります。愛しても、かえってこちらが傷を負いかねないからです。

相手が、敵であることや憎むことを止めてくれるのであれば、愛していくのは易しいかもしれません。けれども、相手がそうするとは限りません。かえって高ぶることでしょう。謙るわたくしたちに、更なる嫌がらせをしてくる。けれどもだからといって、悪口を言う相手に悪口で返しても、何の解決にもならないのです。

そうでありますならば、わたくしたちは、神がこの相手を変えてくださることに、望みを託すほかないのではないでしょうか。神はこの相手をも愛しておられるからです。相手を祝福し、相手のために執り成し祈るほかない。そして、「まさにその道がある」、とその道へと一歩差し出すことを、主イエスは求めておられるのです。

そのような歩みは、相手から見返りを求めない歩みです。かえって、相手から手痛い仕返しをうけることもあるでしょう。しかしなお相手に差し出すことを、主イエスは求められました。それが、この方の歩まれた「愛する」道のりであったのです。

主イエスはわたくしたちを愛するがゆえに、愛せないでいたわたくしたちの罪を負って、十字架へと御自身のすべてを差し出してくださいました。

その主イエスを、天の父なる神は死者の中から復活させて、天の高みへと引き上げられました。敵を愛してゆくところに、なお進む道があることを、神はお示しになったのです。それは、わたくしたちをもまた、この主イエスの生きられた愛の道に生かすためでありました。

主イエスは冒頭に言われました。「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく」と。敵を愛しなさい、と教え始められたその教えに先行して、主イエスは御自身の言葉がわたくしたちと共にあることを告げられました。主イエスはわたくしたちを愛して、その愛の御言葉をもって、神の愛に生きるようわたくしたちの背を押してくださっているのです。