2011年8月14日日曜日

「救いの日」ルカによる福音書 6:1-11

主イエスはおっしゃいました。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか」。神が安息日をお定めになったその心を、あなたたちはどう受け止めているのか、と。安息日の掟にかなっているのは、もちろん、善を行うことです。悪を行うことではないことは誰もが承知していました。ですから、安息日の掟にかなっているのは、命を救うことであって滅ぼすことではないのです。神が救おうと働かれるその御業に与ることを、神は喜んでくださっているのです。

安息日を守る根拠は、神の天地創造の御業にあります(出エジプト二〇・一一)。神は六日の間働かれ、七日目に休まれました。この安息日を神が定められ、特別の日として祝福された。それは、この安息日に神の喜びに与るためであったのです。わたくしたちに命を与えることを、神は喜んでいてくださり、その喜びにわたくしたちは満たされているからです。天地創造の神の御業によって命を与えられたわたくしたちが、この神をほめたたえるために、神は安息日を定められたのです。

もう一つの根拠は、神の救いの御業です(申命記五・一五)。イスラエルの民はかつてエジプトで奴隷として囚われていた。けれども神は指導者モーセを立てて民を導き、この囚われから解き放たれました。神が力ある御業によって、民を救い出されたのです。囚われの状態にあったわたくしたちをお救いになることを、神は喜びとされたのです。その神の御業に与る日として、神は安息日を守るよう定められたのでした。

今わたくしたちは日曜日を聖なる主の日と呼んで礼拝を守っていますがそれは、主イエス・キリストが復活され、この日を聖なる日として与えられたからです。神がわたくしたちの救いのために、主イエス・キリストを復活させてくださいました。それはわたくしたちの復活という救いの完成、新しい天と地の創造を約束するものでした。この神の喜びの日を仰ぎ見るために、神はこの日を聖なる主の日としてくださり、わたくしたちをお招きくださいました。神は御子キリストの復活をわたくしたちに告げ知らせてくださり、わたくしたちを救いの御業に与らせてくださいます。神の喜びのもと、わたくしたちを救いの完成へと、神は導いてくださるのです。