2011年7月24日日曜日

「神に赦されて生きる」ルカによる福音書 5:17-26

聖書において罪とは、わたくしたちが神に背いて、神がおられないかのようにして生きることです。この、神との関係の破れは、神によってしか修復することができません。

ですが主イエスは、「あなたの罪は赦された」とおっしゃり、中風を患った男に罪の赦しを宣言されました。それで人々は、神以外にそのようなことができるものかと疑問を抱いたのです。けれども主イエスはさらに、この男に、起きて床を担いで家に帰るよう言われました。すると、「その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行」きました。主イエスは中風の病をいやされたのです。いやすことで、この者の罪が赦されたことを、御自身が赦しの権威を神から託されていることを、証しされたのでした。

神はわたくしたちが罪の中に留まったり、人をそこに留めたりすることを願っておられるのではありません。むしろ神は、罪あるわたくしたちが罪から解き放たれることを願っておられるのです。そのために御子イエス・キリストをお与えになりました。

御子イエスはわたくしたちが支払うべき罪の代価を、代わりに十字架で負ってくださったのです。父なる神は御子を差し出し、その死をもって、わたくしたちを罪の中から買い戻してくださったのでした。

そして「罪を赦す」とは、わたくしたちが何かこれから将来、罪を犯すことを許可するものではありません。そうではなくて、わたくしたちを過去の罪の縄目から解き放つことです。そのため、神は御子イエスをわたくしたちにお与えになり、主イエスはわたくしたちが罪から解かれるために、十字架を負ってくださいました。主イエスの十字架は、わたくしたちが罪の奴隷から解放されるためでありました。これからのわたくしたちの歩みが、神の僕として、復活の主の僕として生かされるためにです。そのことを神は喜んでくださっているのです。

主イエスが宣言してくださいます罪の赦し、それはわたくしたちに与えられます洗礼の出来事です。神はわたくしたちを罪の虜から救い出してくださるのです。洗礼によって、神はわたくしたちを主イエスの十字架の死に与らせ、罪を赦し、復活の主イエスの命に新たに生かしてくださるのです。