2011年7月17日日曜日

「神の御心に生きる」ルカによる福音書 5:12-16

重い皮膚病を患った男は、主イエスのもとにひれ伏しました。「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」。この病は人間には治せないと言われていました。なのにそれを承知で主イエスにお頼みするということは、主イエスが神の力をお持ちであることを、この男は信じていたということです。その信仰を神はお与えくださいました。男は幸いでした。

この男の言葉から、神がどれほど豊かに彼を信仰に導かれたのかを伺い知ることができます。「御心ならば」と訳されました言葉はそのまま訳せば「もしあなた(主イエス)が望んでおられるのなら」となります。つまり男は、主イエスが神の力をもってこの重い皮膚病をおいやしになることが可能とされていることを認め、ひれ伏しました。そして、この病をいやせる主イエスが自分をいやすかどうかは、主イエスの御心次第だということにひれ伏しているのです。主イエスが望みさえすれば、この自分の病はいやされる。「主よ、あなたはわたしがいやされることをお望みなのでしょうか。どうかいやしてください」と。

男は主イエスの望み、神の御心を、問うたのでした。主イエスはこの男を御覧になり、御手を差し伸べて触れられ、お答えになります、「よろしい。清くなれ」。すると重い皮膚病は去って、男はいやされました。

「よろしい」と訳されています主イエスの言葉は、「わたしは望んでいる」という言葉です。先ほどの「あなたが望まれるなら」という男の言葉に応答して、主イエスは「わたしは望んでいる」とおっしゃった。主イエスはこの男がいやされ、清められることをお望みになった。病をいやされて神と共にある歩みを、ここから新たに始めることをお望みになっておられたのです。

この主イエスのもとにひれ伏すことができた男は、幸いでした。主なる神が、この男をお見捨てにならないで、導いておられたのでした。それは、死んだこの男が新しい命をいただいたのと同じでした。不治の病を得て死んだ者のようにして生きてきた男は、この神の御力に存分に与り、新たに命を与えられて生かされたのです。主イエス・キリストは御手を伸ばして、この男の汚れに触れてくださり、この男の十字架を負ってくださいました。そして復活の主イエスの命にこの男を生かしてくださるのでした。