2011年6月12日日曜日

「神の偉大な業」使徒言行録 2:1-13

いったい、何が起ったのでしょうか。国々から来た人たちは、自分の故郷の言葉で主イエスの弟子たちが話をしているのを目の当たりにしました。

振り返ってみますと、筆頭弟子のペトロが先生である主イエスを見捨てたのは、ついこの間のことでした。主イエスが当局に捕えられるのを予告されたとき、ペトロは言っていました。「主イエスと一緒であれば牢屋で死んでも構わない」と(22:33)。主イエスに付き従う思いが人並み以上であったにもかかわらず、ペトロは主イエスが捕えられた後、「イエスを知らない」と三度も口にしたのです。

ところがそのペトロはこの日、何とも雄弁に、主イエスについて説教していました。「イエスを知らない」と逃げ出して行ったペトロが、「十字架で死んだイエスこそ主、メシア救い主である」と声高らかに証しする。このペトロをはじめ弟子たちの変わりぶりに、また彼らが世界中の国の言葉で話をしていることに、いったい何が起ったのかと、誰もが驚いたのでした。

人々は驚くべき出来事に直面しながらも、このところにおいて、自分もまた神の偉大な業に与っていることを受け止めずにはおられなくなりました。聖霊によって、彼らもまた「十字架で死なれたイエスこそ、メシアである」と告白するに至らせられたのです。聖霊が降されて、弟子たちも世界中から帰って来ていた者たちも、自らの命の根本から信じる者とされたのでした。「主イエス・キリストの十字架の死と復活が、わたしを救うためであった」と魂の言葉として告白するに至る信仰を与えられたのです。その信仰は言葉によって、言葉を越えて、届けられたのでした。

このことは彼らにとりまして再び天地創造の御業に与るほどの出来事でありました。聖霊によって彼らの命はまったく新たに変えられたのです。命を与える神の息吹によって、弟子たちは復活の主イエス・キリストに生きる者とされたのです。

御子によって成し遂げられた救いに与らせるため、父なる神は聖霊を満たしてくださいました。この神の偉大な業に与りました者たちは、主イエスの命を受けて、神の子として、それぞれに委ねられた賜物を主の栄光のために用いて行く歩みへと、新たに生かされてまいるのです。