2011年5月8日日曜日

「救いを仰ぎ見る」ルカによる福音書 3:1-6

洗礼者ヨハネが神に召し出されて働きを始めたのは、皇帝ティベリウスの治世でした。ローマ帝国が不動のものとして支配し、その下で領主がそれぞれの地域を治めている。宗教指導者も揺るがぬ地位をもって社会を支配している。もはや動かしようのない状況、変わらないと思っていた世界でありました。ですけれども御言葉はその変わらないと思えた世界が救われるというのです。

それが主イエス・キリストの出来事でした。人々は主イエスにローマ帝国を転覆させる政治的な運動家として期待しました。しかし主イエスはそうではありませんでした。主イエスは十字架におかかりになり、そこにおいて、まことにこの世を支配しておられる神を仰ぎ見られたのです。その神は、死を超えてわたくしたちを救い出してくださる御方であられました。

十字架で死なれた主イエスを、神が死者の中から復活させられた。それは、死んだらもうおしまいだという、変わらざる常識が覆された出来事でありました。神はわたくしたちを死の谷底から引き上げて、死で終わる命ではなく、死んでもなお復活に与る命へと、今も召し出しておられるのです。

わたくしたちはといえば、自分が変わらないと思い込んではいなかったでしょうか。けれども、神はわたくしたちをお救いになるのです。変わらないと思っていたそのわたくしたちに、神は御言葉をもって救いの御手を差し伸べられ、わたくしたちを救い出されるのです。

そして、神がすべての者をお救いになるということは、わたくしたちの周りの者もまた、救われるということです。わたくしたちは周りの者のために祈ります。あの人が変われば、救われれば、と願うのです。神はその者のためにも主イエスによる救いを与え、これを成し遂げてくださいます。その約束のもとにありますので、わたくしたちは御言葉に生きるのです。ヨハネのように洗礼を宣べ伝えるのです。

低く蔑(さげす)まれた者は引き上げられ、高ぶる者は低くされる。邪(よこしま)に曲がった心は正される。神がそのために働かれ、わたくしたちを変えられる。救われるのです。そして神がわたくしたちをお救いになるとき、わたくしたちの生きる世界もまた新たにされます。やがて成し遂げられますその救いを今仰ぎ見て、救いの御言葉に生きる歩みをここから始めてまいりましょう。