2011年4月3日日曜日

「来るべき主の日」テサロニケの信徒への手紙一 4:13-18

十字架で死なれた主イエスを神は復活させられました。そして神はやがてわたくしたちをも復活させられます。天と地を造られ、わたくしたちの生と死とを支配されています神は、主イエスの復活を信じて眠りについたわたくしたちを、主イエスと一緒に導き出されるのです。パウロは、わたくしたちのこの復活が、来るべき主の日に与えられる、と告げます。

大変興味深いのは、パウロが主イエスについては「死なれた」と記す一方で、わたくしたちについては「眠りにつく」と記していることです。眠りにつくとは死ぬということに他なりませんが、ここではわたくしたちが死ぬのではなくあえてそのように眠りにつくと記している。それは、わたくしたちが負うべき死を主イエスが十字架の死をもって負ってくださったからでした。それゆえ、主イエスについては「眠りにつかれた」のではなく、「死なれた」と記す。主イエスこそがわたくしたちの死の絶望を負いきってくださったからです。そして神はこの御方の復活にわたくしたちを与らせてくださる。ですから、わたくしたちはもはや、この地上の生涯を終えて「死ぬ」というよりも、復活に与るまで「眠る」のです。死んで終わりというわけではないのです。

神は主イエスの復活において、わたくしたちが死を越えて向かうべきところがあることを示されました。死は悲しみで終らず、なお希望のうちにあるということを神は主イエスの復活において明らかにされたのです。

こうして、主イエスの復活はわたくしたちの死を変えてしまいました。神は主イエスの復活を通して、わたくしたちの死を変えてくださったのです。主イエスによって神はわたくしたちの死を「眠り」としてくださいました。死は悲しみで終るのではないのです。神が約束された復活のとき、再会のとき、いつまでも主と共にいる喜びを受けることになる。この希望のうちにあって、わたくしたちは死で終わりではない生をそこへと向かっています。神はわたくしたちの死を変えてくださり、それによって、わたくしたちの地上の生をも変えられたのでした。

そして主なる神はわたくしたちを、まさに来らんとする主の日へと向かう者とならせてくださっています。わたくしたちの復活の日はいまだ来ていません。ですけれども、既に主イエスの御復活において、神はわたくしたちがこの復活に与る約束をわたくしたちにお与えくださいました。そして、この主の日へと向かう希望の歩みをお与えになっているのです。この既にと未だの間にあって、主なる神はわたくしたちを来るべき主の日へと向かわしめてくださっているのです。

主イエスが再びわたくしたちのところへと来てくださり、とこしえに共にいてくださる。この喜びの日を仰ぎ見て、共に励まし合ってまいりましょう。