2011年2月20日日曜日

「救いに与らせる御方」テサロニケの信徒への手紙一 2:13-16

パウロは証します。神の御言葉は「信じているあなたがたの中に現に働いている」と。これまでパウロはテサロニケの者たちに、「十字架で死なれ、死者の中から復活された主イエスこそメシア・キリスト救い主である」と宣べ伝えていました。そしてその言葉を、テサロニケの教会の者たちは生ける神の御言葉として聴きました。やがて虚しく消え去ってしまう人の言葉としては聴かなかったのです。それは神がテサロニケの者たちを、神の御言葉を信じる者とならせられたからです。そのために神がパウロを用いられたのでした。そして今もなお、信じているテサロニケの教会の者たちに、またわたくしたちの中に、神は働かれています。神は御言葉によってわたくしたちを生かしてくださっているのです。

とはいえわたくしたちは地上の歩みにおいて、人の口から出た様々な言葉に影響を受けます。わたくしたちを立て上げる言葉ばかりではありません。とりわけ、人の言葉が刺のように突き刺さって来るという経験をわたくしたちはいたします。人の言葉がわたくしたちを苦しめて、生きて行くことが難しくなる。人の言葉によって、ともすればその力の前にわたくしたちは進む道を閉ざされるのです。

テサロニケの教会の者たちもそうでありました。神の御言葉に生かされながらも、御言葉を受け入れない者たちによって苦しめられました。神の御言葉に生きる者を、人の言葉が妨げる。その現実の中にテサロニケの者たちは置かれていたのです。それはわたくしたちもそうでありました。

このわたくしたちに対しましてパウロは証しているのです。ユダヤにある教会の者たちもその苦しみを受けたこと、さらには主イエス・キリストが、その苦しみを受けられたのだということを。主イエスが負われた十字架は、神の御言葉に生きるこの御方を、人々が受け入れなかった結果でありました。しかし神はこの十字架で死なれた主イエスを復活させられ、死に勝利され、神の御言葉こそが最後に勝ち残ることをわたくしたちに明らかにされたのです。

旧約聖書のイザヤ書は神の御言葉について次のように預言しています。「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ(四〇・八)」。わたくしたちに与えられた神の御言葉は、とこしえに立つ。今は人の言葉が大きな影響を及ぼしている。しかしやがてそれも神の御言葉の前に力を失うことになる。そして神の御言葉はとこしえに立ち続ける。

その神の御言葉が、信じているテサロニケの者たちに、わたくしたちの内に、今も働かれている。そしてやがて、終わりの日にはこの神の御言葉において、非の打どころのない者として立て上げられる。神はわたくしたちを救いに与らせられるのです。神がわたくしたちを復活させるのは、人の言葉によってではなく、主イエス・キリストを復活させた神の御言葉においてでありました。この神の御言葉に与らせるために、神はわたくしたちを礼拝へと招いてくださっているのです。