2011年1月23日日曜日

「神に喜ばれるため」テサロニケの信徒への手紙一 2:1-4

パウロはテサロニケの地を発って数ヶ月後に、同地の信徒へと手紙を書き送ります。その中でパウロは自身のテサロニケ訪問を振り返り、これが無駄ではなかったと言います。それは、パウロがその地において主イエス・キリストを宣べ伝える原因・理由・根拠が、虚しいものによるのではなかったからです。

パウロはまずテサロニケにおける宣教の外的状況について確認します。パウロたちはこの地において激しい苦闘の中で宣教しました。これまでもパウロたちは苦しみと辱めを受けながら宣教したのですが、この地においても同様であったのです。そして、この中で主イエス・キリストを宣べ伝えました理由は、ただ一点、神が勇気を与えてくださったからでした。そもそもパウロたちが苦闘したのは、主イエス・キリストを宣べ伝えたからです。それゆえパウロにとってこの苦しみは、主イエスが共におられることの証に他ならなかったのです。こうしてパウロは、苦しみの中で神に勇気づけられたことを確認するのです。

次に内的状況についてですが、パウロはテサロニケにおいて宣教を始めた動機が人間的な理由にあるのではなかったことを確認します。何か成り行き上、後に引けないから宣教したというのではなく、それによってパウロたちが金品を得ようとか、自分たちの栄誉を求めてというわけでもない。さらに、この地の者たちをだまそうとしているわけでもない。そのように、自分たちの側に根拠があるのではなく、神の側に根拠があるのだと確認するのです。パウロたちのテサロニケでの宣教は「神に認められ、福音をゆだねられているからこそ」であったのです。

そしてこの宣教の目的が、神に喜ばれるためであったと言います。宣教と訳されました言葉は、パウロが他のところで「慰め・励まし」と言う意味で用いている言葉です。主イエス・キリストによる慰めと励ましを宣教することがパウロに委ねられていることでありました。
この御方の十字架の死と復活とによって、わたくしたちが滅びの中から救われる。やがてこの方が再び来られる日に、神はわたくしたちを復活させて、永遠に主イエスと共にいる者とならせてくださる。このゆえの慰めであり、そこへと向かう励ましです。何か、人間の側の力や知恵や理由による慰めや励ましではない。神の側からもたらされる永遠の慰めと励ましです。パウロはそこに立って宣教することに徹したのでした。

このように、神は宣教の根拠であり目的でありました。神はわたくしたちがそこへと向かう歩みに生きること、この歩みに立ち続けることを御自身の喜びとしてくださっています。主イエス・キリストがもたらしてくださる慰めと励ましに立ち続けるその歩みのために、神はわたくしたちを礼拝へと招き、主イエスの十字架の死と復活とを告げ知らせ、救いに与らせてくださるのです。